ここに至るまでは、色々な試行錯誤を経て来ましたが、ようやく落ち着いた感じです。 で、ここはそれぞれを繋ぐガイドブックみたいなものとして活用するつもりだったのですが、実は余り出番がないのです。 でもそれでは余りにココが、可哀想なので、今日は最近「Shrimp head」で書いた「R100」の補足文と、いうのか、ちょっとしたお遊びを書いてみたいと思います。 それは「R100」の後半部分へのchika的アレンジです。 映画では「唾液の女王様」の事故死をきっかけに、クラブ「ボンデージ」と片山との抗争と同時に、「映画内映画の試写会」という入れ子構造にウェイトが移っていくのですが、それを前半のシリアス展開をそのまま引き継ごうというものです。 大地真央演じる「声の女王様」は、他人の声を真似るときに、その精度を高めるために声の主の心理まで深く探求し理解する必要があった。 真似る声の持ち主が、強い情念を持つ場合は、それに彼女自身が影響される事があるくらいだった。 片山の妻の場合は、それが起こった。 「声の女王」は、片山の妻が植物人間になる前にビデオで撮られた記録物から、その声を真似たわけであるから、常識的には、片山の妻の情念に影響されたのではなく、それは「声の女王」自身の深層意識のなせるものだったはずなのだが、、。 とにかく片山に復讐をしようとする女王達の中で、無意識に片山を守ろうとする「声の女王」の動きは、彼女が女王達のリーダー格の存在であることも手伝って、彼女たちの間に微妙な波紋を投げかけるのであった。 ある者は、捨てた恋人の事を思い出し、ある者は苛められていた過去を思い出し、それらの記憶は、片山の必死の抵抗に触れる度に、彼女たちの女王様としてのアイデンティティーを脅かすまでに膨れ上がって行った、、、。 まあ、そんな感じでしょうか。 でもこの別シナリオで進める映画の最後のシーンは、原作に敬意を払って、100歳の映画監督が見せる喜悦の代わりに、片山が一生涯に一度きりの最大の快感を得ながら途絶死を迎える、というのがいいでしょうね。
by saienji
| 2014-02-15 16:14
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