近緒短編小説
アニメの夜 3
=こころやさし科学の仔= この小説は鉄腕アトム誕生日(2003/4/07)を記念してSMfにて企画されたものです。
「男の娘(カワイイ女装美少年)」と書いて「オトコノコ」と読ませる、、これ最初考えた人って、この方面のセンスあるなっていつも感心してます。そして何故か「オトコノコ」とゆーとchikaの場合何故か「鉄腕アトム」を思い出すんですよね~。
最近は海外アニメ「ATOM」が2009年10月10日に公開されたり、鉄人28号像が神戸の長田に作られたりと、も一度ブームが来るのかって感じもするんですが、それはさておき以下は昔書いたロボットフェチについての考察。
題名は「開口マスクで開けたクチマンにディルドーを」・・なんて恐ろしく過激ですが、中身はしごくまっとうなもの。
この中にも鉄腕アトム「オトコノコ」論が少し展開されています。
今日のフィールドワークはロボットフェチ。とかなんとか言ってるけど本当は浦沢直樹氏の作品プルートウ(PLUTO)へのオマージュを書きたかっただけだったりします。
プルートウ第二巻もやっぱり面白いですね。3回も読み直してしまいました。浦沢直樹氏のミステリー仕掛けはもちろんなんだけれど、今回ぐっと来たのがなんと言ってもアトムの造形ですね。
浦沢直樹氏のアトムは完全に人間の少年の姿をしてるんだけど、「中身」は本家TV版アトムそのものになってます。
chikaは時々思うんだけど、もし昭和TV版のアトムの声がジャイアンみたいな声質だったら、アトムの世界ってあり得なかっただろうって。(ちなみに声は清水マリさん)
そう、あの声と容姿から伝わって来るアトムの性別って男と女を越えた中性である上に、なおかつ弥勒菩薩であるというか、、そんな感じしません?。
あるいは幼い身体に変化した慈しみの知性というのかな。まあchikaの場合、それ以外にアトムの表皮って実はラバースーツで、、なんて邪悪な事も妄想してはいるんですが。(この妄想の結実が拙作「アニメの夜」なんです。)
はは、話を元に戻して浦沢直樹氏もやはりあのTV版アトムを肌で感じていた人なのじゃないかと思うわけです。氏の漫画に出てくるアトムはどこからみても少年なのに、その存在感は身近で、ある時は非常に成熟した優しい女性の息づかいを持っていたり、反神聖と戦う時は表面上けなげに見える癖に実はしたたかな闘士だったり、、これって完全にアトムですよね。そう「心優し科学の子」なわけ。(旧アトムの主題歌の歌詞書いたのはあの谷川俊太郎氏です。)
最近、鉄人28号の実写版映画だとか日本映画もけっこうハリウッド真似てやってるみたいだけど今やるならアトムに神木隆之介君なんかがよさげだけどボーイズラブやショタコンの方々が騒いじゃってやっぱ方向性変わちゃうか、、、。
おーっと今日はいつまでたってもロボットフェチにたどり付かないなぁ、、。そ言えばTVでロビン・ウィリアムズの『アンドリューNDR114』が放映されてるのをちらっとみたんだけど、ロビン・ウィリアムズのロボットメイク(スーツ)がグロ過ぎて思わず視線そらしちゃったなぁ、、まあある意味、chikaの深層心理には肉の質感を持つロボットに惹かれてる部分(出来損ないのディシプリンスーツみたい)もあるんだろうけど。
それにロボットフェチってどうも人形フェチのサブカテゴリーみたいな扱いがあるみたいだね。
ロボットが人間に恋をするって話は簡単に作れそうだけど、逆パターンはどうだろう。例えば絶世の美女ロボットに恋をした青年がその愛を全うしようと自らの身体を機械化、最後に残った脳髄がある限りロボットにはなれないのでそのすべてをデータ化してメモリーへ。でも美女ロボットは言うわけ「それでもあなたは人間で私はロボットなのよ。」
どかな?一度、小説に書いてみようかな。題名は「ロボット狂いの果てに、、」とか。でさ、ある種、フェチ者の悲哀をよく表せる短編になるんじゃないかと。駄目か、、。
でロボット・フェチがあまり高濃度のエロを放てずにドール・フェチやマネキン・・フェチのサブ化してる原因を考えて見たのだ。
まあ文学的な考察だと、その原因は、あまりにもロボットという存在が「神>人間>ロボット」みたいな存在論カタログの中に押し込まれ過ぎているってことなのかな。
人形やマネキンにある呪術的要素も科学という名前で消去されちゃってるし、、。
それにフェチ的考察では、ロボットが人間みたいになる前に、人間がロボットみたい(サイボーグ)になる確率の方が人間の性的衝動面で見ても高いからなぁ。