青い花


以下の資料は、chikaが写真家土田ヒロミさんの写真集である「青い花」についての調べものをする途中、googlでキャッシュの形で発見したものです。
どうやらこの資料、現在では使われていないようなのですが、日本のトランスジェンダー文化を考える上で、非常に面白いものだと思いましたので、サルベージさせて頂きました。
下のデータベースの関係者の方で、何か問題があるようでしたら、ご連絡下さいませ。すぐに削除させて頂きます。(最遠寺近緒)


データベース:一般雑誌1971-1980年

  # by saienji | 2009-11-22 17:15 | smf | Trackback | Comments(0)

目川探偵事務所シリーズ

 SMfのメインとなる「目川探偵事務所シリーズ」の主人公リョウは想念的な「ふたなり」存在である。
物語は、女子高校生香代がある夏の日、数人の男達に手ひどいレイプを受け、身体的精神的ダメージによって植物人間状態として生きながらも、その昏睡の中で永遠に続く夢の中で、第二のバーチャルな人生を歩む描写で成り立っている。
 その夢の中で、香代は「男根」を所有する同性愛の高校生男子生リョウであり、その美貌を生かして女装して、自分のバイト先である目川探偵事務所で活躍するのである。
 ここまで書けばおわかりかと思うけれど、この物語は、ある意味、香代の再生物語であり、目川探偵事務所の目川純はリアル世界では香代の叔父であり、香代の父親に該当するキャラクターも夢想世界に登場する。 もちろんリョウが戦うべき相手は、レイプ犯であり、自ら手を下さないまでもそのレイプ現場を冷ややかに見つめ続けた「傍観者」である。
 この「目川探偵事務所シリーズ」を書いている間中、(実際には「ふたなり」を描きたかったというのでもないのだろうが)AV女優さんの股間にリアルな模造ペニスを装着させて撮ったAVが気になっていた。二村ヒトシ監督の代表作の一つでもある『男根少女  森下くるみはペニスが生えた夢を見るか?』だ。
 二村ヒトシ監督につてWIKIの記事をまとめ直してみると『 どの作品も根底にあるのは、監督である二村本人にとって都合のよい「童貞的な欲望と妄想」である。それゆえ二村と性的嗜好が合うAVユーザーにとっては抜群にオナニーしやすい映像であるといえるが、一方で「現実的なセックスではなく、ユーザーへのサービスとしてのエンターテイメントでもなく、二村の脳内でのオナニーを描いている」「他者が不在のセックスである」といった指摘もある。 二村AVに登場する男は(有名男優が演じていても)童貞的な存在で、にもかかわらず積極的な美女から理由なく愛される。濃厚なセックスは彼に都合よく進行し失敗せずに終わるので、彼はセックスを通じて「女という他者」を発見することがない。二村が流行らせ、日本のAVの一部に定着させたとされる演出としては、精巧な疑似ペニスをつけた女が射精したり、女とセックスしたりする(ふたなり) 女優同士がどちらも男装して、擬似ペニスも装着してレズる(擬似ホモ)である。 女性主導の性行為や、ジェンダーの混乱が主題である二村AVは、「女を凌辱したい」「イキまくらせたい」という欲望が主流である07年?のAVのトレンドからは外れたところに位置しているようだ。』となる。

 「童貞的な欲望と妄想」「セックスを通じての女という他者の発見」「他者が不在のセックス」「ジェンダーの混乱」というキーワードが「目側探偵事務所シリーズ」にクロスする部分でもある。

その監督が立て続けに撮っているのがこの「女装美少年3 (B-4) [DVD]女装美少年」シリーズである。「女の子でもシーメールでもない、私、普通の男の子なんです。」と言うキャッチフレーズには「従来の女装者」とも違うという内容も含められているようだが、それが成功しているかどうかは別として、少なくともより深く「ジェンダーの混乱」に入り込もうとしている指向性だけは確かに感じられる。
 「目側探偵事務所シリーズ」の作者としてはその「ジェンダーの混乱」の向こう側に見えるもの興味がある。

  # by saienji | 2009-11-14 14:53 | smf | Trackback | Comments(0)

蠱惑 アルーア

アンプラ映画評・書評コーナー  「I saw a movie.」より

リチャード・コールダー
アルーア

浅倉久志訳 トレヴィル発刊


リチャード・コールダーの楽しみ

 どうして、この人の事を忘れていたんだろう?私の創作の最も偉大なる近似値、リチャード・コールダー。
 それはおそらく彼が上品すぎるから?そして彼の第二作の作品を読まないのは私の嫉妬心から?
 以下、彼の作品の中で、ガイノイド泥棒である貧相な東洋の小悪党モスキートが、一皮剥いて人造美少女に化ける(元の姿に戻る?)シーンをご紹介します。
 この耽美、素敵です。モスキートを抱きしめたくなるから。

 暑さにひび割れたドレツサーの上に、クリームと、ドーランと、パウダーと、軟膏と、皮膚軟化剤を並べた。
 それから女物の服をそろえ、昼間の皮膚を脱ぎ捨てて、ドールに変身した。
 鏡の中の分身がウインクをよこした。
 この妹は繊細な子供っぽい顔だちで、まだ頬のあたりにおさな太りが残っている。
 そこにツッパリ風の感じをつけたしているのは、ボブヘァと、三百月形のいたずらっぽい目、ふたつの黒い太陽のように燃える目だ。
 ちょっぴりとがった唇は、欲望と侮蔑の両方を伝えている。
 そして肌は-人造女特有のしみひとつない、磨きぬかれた肌は-見るからに合成物めいている。
 きょうの衣装?豹の毛皮模様のボディ・ストッキングと、十五センチの錐刀。
 もちろん性器は(いつも厄介だが)スコッチテーブで固定し、恥丘のふくらみに見せかける。
 ほほえんで、犬歯をチェックした。完壁。
 ベッドに寝そべって、フィジヵル・カルチャーの雑誌を拾い読みした。
 ラジオが、ブワッ、ブワッとまわる無関心な扇風機相手に、恋の喪失と発見の物語をささやいている。

  # by saienji | 2009-11-08 17:21 | smf | Trackback | Comments(0)

メガマウスの生物学

 市川哲也さんが運営されている「フェティッシュジャーナル」に「新たな性対象の発見」という非常に興味深いテキストが掲載されていたので、ここで紹介させていただきます。

 皆さんご存じの通り、出来損ない男の私は、黒くてケバイ女いわゆるage嬢(昔でいうところの「コギャル」)が大好きです。
 人は、自分にないものを求めるわけですが、私は色白で少なくともギャルのような奔放な下品さを持ち合わせていません。
 そこで私は色黒の下品なギャル、セックスにどん欲な動物のようなギャルがたまらなくツボ落ちしてしまいます。結局、黒くてツヤのあるキャットスーツにこだわるのも、それが、ギャルの日焼け肌がエロくツヤ光りしている様に似ているからだと思います。
 キャットスーツを着て、シリコンバストを入れ、ラバーマスクをかぶってギャルウィッグをかぶり、ageメークを施すのはまさに自分のギャル化、ギャルへの変身を成就するため。
 もはやギャルに生まれ変わりたいわけですが、果たせないところを、こうして即物的な手段で一時的に叶えるのです。なぜそこで射精に到るかがまた不思議なんですがね。
 日本におけるギャルの地位はこれまでもこれからも、たとえば三浦展あたりがいう職業分類でいうところの一流大卒女に較べて低いままでしょうが、私のなかではギャルの地位は限りなく高いんです。
(中略)
 みなさんはどうでしょうか? ラバーフェチと思っていたら実際、じつはギャルフェチガングロ茶髪のコギャルフェチでもあるのではないでしょうか。


 ここでは市川哲也さんにとっての「ラバーを着る」という深層的な意味が触れられているのですが、確かにラバーには皮膚レベルでの変身願望を叶える要素が視覚的にも体感的にもあるのかも知れませんね。しかも服飾的要素も同時に持っているあたりがラバーの凄さかも。

 ところで、ラバーで性を越える変身譚は、chikaの小説群の中では意外に少ないのです。


目川探偵事務所Ⅲ ドッペルゲンガーを殺せ

メガマウスの生物学

  # by saienji | 2009-10-15 08:30 | smf | Trackback | Comments(0)

アニメの夜 3  =こころやさし科学の仔=

近緒短編小説

アニメの夜 3
=こころやさし科学の仔=


この小説は鉄腕アトム誕生日(2003/4/07)を記念してSMfにて企画されたものです。

 「男の娘(カワイイ女装美少年)」と書いて「オトコノコ」と読ませる、、これ最初考えた人って、この方面のセンスあるなっていつも感心してます。そして何故か「オトコノコ」とゆーとchikaの場合何故か「鉄腕アトム」を思い出すんですよね~。
 最近は海外アニメ「ATOM」が2009年10月10日に公開されたり、鉄人28号像が神戸の長田に作られたりと、も一度ブームが来るのかって感じもするんですが、それはさておき以下は昔書いたロボットフェチについての考察。
 題名は「開口マスクで開けたクチマンにディルドーを」・・なんて恐ろしく過激ですが、中身はしごくまっとうなもの。
 この中にも鉄腕アトム「オトコノコ」論が少し展開されています。


 今日のフィールドワークはロボットフェチ。とかなんとか言ってるけど本当は浦沢直樹氏の作品プルートウ(PLUTO)へのオマージュを書きたかっただけだったりします。
プルートウ第二巻もやっぱり面白いですね。3回も読み直してしまいました。浦沢直樹氏のミステリー仕掛けはもちろんなんだけれど、今回ぐっと来たのがなんと言ってもアトムの造形ですね。
 浦沢直樹氏のアトムは完全に人間の少年の姿をしてるんだけど、「中身」は本家TV版アトムそのものになってます。
 chikaは時々思うんだけど、もし昭和TV版のアトムの声がジャイアンみたいな声質だったら、アトムの世界ってあり得なかっただろうって。(ちなみに声は清水マリさん)
 そう、あの声と容姿から伝わって来るアトムの性別って男と女を越えた中性である上に、なおかつ弥勒菩薩であるというか、、そんな感じしません?。
 あるいは幼い身体に変化した慈しみの知性というのかな。まあchikaの場合、それ以外にアトムの表皮って実はラバースーツで、、なんて邪悪な事も妄想してはいるんですが。(この妄想の結実が拙作「アニメの夜」なんです。)

 はは、話を元に戻して浦沢直樹氏もやはりあのTV版アトムを肌で感じていた人なのじゃないかと思うわけです。氏の漫画に出てくるアトムはどこからみても少年なのに、その存在感は身近で、ある時は非常に成熟した優しい女性の息づかいを持っていたり、反神聖と戦う時は表面上けなげに見える癖に実はしたたかな闘士だったり、、これって完全にアトムですよね。そう「心優し科学の子」なわけ。(旧アトムの主題歌の歌詞書いたのはあの谷川俊太郎氏です。)

 最近、鉄人28号の実写版映画だとか日本映画もけっこうハリウッド真似てやってるみたいだけど今やるならアトムに神木隆之介君なんかがよさげだけどボーイズラブやショタコンの方々が騒いじゃってやっぱ方向性変わちゃうか、、、。
 おーっと今日はいつまでたってもロボットフェチにたどり付かないなぁ、、。そ言えばTVでロビン・ウィリアムズの『アンドリューNDR114』が放映されてるのをちらっとみたんだけど、ロビン・ウィリアムズのロボットメイク(スーツ)がグロ過ぎて思わず視線そらしちゃったなぁ、、まあある意味、chikaの深層心理には肉の質感を持つロボットに惹かれてる部分(出来損ないのディシプリンスーツみたい)もあるんだろうけど。
 それにロボットフェチってどうも人形フェチのサブカテゴリーみたいな扱いがあるみたいだね。
 ロボットが人間に恋をするって話は簡単に作れそうだけど、逆パターンはどうだろう。例えば絶世の美女ロボットに恋をした青年がその愛を全うしようと自らの身体を機械化、最後に残った脳髄がある限りロボットにはなれないのでそのすべてをデータ化してメモリーへ。でも美女ロボットは言うわけ「それでもあなたは人間で私はロボットなのよ。」
どかな?一度、小説に書いてみようかな。題名は「ロボット狂いの果てに、、」とか。でさ、ある種、フェチ者の悲哀をよく表せる短編になるんじゃないかと。駄目か、、。

 でロボット・フェチがあまり高濃度のエロを放てずにドール・フェチやマネキン・・フェチのサブ化してる原因を考えて見たのだ。
 まあ文学的な考察だと、その原因は、あまりにもロボットという存在が「神>人間>ロボット」みたいな存在論カタログの中に押し込まれ過ぎているってことなのかな。
人形やマネキンにある呪術的要素も科学という名前で消去されちゃってるし、、。
 それにフェチ的考察では、ロボットが人間みたいになる前に、人間がロボットみたい(サイボーグ)になる確率の方が人間の性的衝動面で見ても高いからなぁ。

  # by saienji | 2009-10-02 17:10 | smf | Trackback | Comments(0)

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